ブログ・コサワ

日常の気づきと、真面目の向こう側の笑い。

「頑張ってないのにうまくいく人」ひらめきラジオ 拝聴記録

「頑張ってないのにうまくいく人」ひらめきラジオ 拝聴記録

jMastuzaki氏とF太氏が、YouTubeで配信している「ひらめきラジオ」を拝聴しました。

このチャンネルでは、毎週月曜日に朝6時から動画のライブ配信をされています。

 

最近、このチャンネルの存在を知ったのですが、

ライフハック中心で、楽しい!

難しい言葉が使われないので、話がわかりやすい!

ということで、過去の動画を毎日1つずつ聞いています。

 

そして、私が特に興味深かった放送が、 「頑張ってもうまくいかない人、がんばってないのにうまくいく人」でした。

話の要点は、おおよそ以下の4点でした。

1)「努力」を目的にしてはならない

2)得意分野を探せ

3)やめる勇気が必要

4)自分の人生のミッションを見つけよう

この4点がどう繋がるのでしょうか?

1)「努力」を目的にしてはならない

がんばってもうまくいかない人の傾向として、行動の目的が「努力」そのものになってしまっているというのです。

そんなことがあるのでしょうか?

「努力」そのものを目的にしている、というのはどういう状態なのか、私なりに考えてみました。

 

まず、目的というものをどれくらいの人が意識しているでしょうか?

 

例えば、英会話スクール。

海外転勤が決まった人なら、予習・復習もして、全力で取り組むでしょう。 でも、「なんとなく時間があって、ダラダラ過ごすのももったいないから」とか、「周りがやってるから自分も」という理由で行く人は続かない、もしくは上達せず周りの仲間とつるむだけになると思います。

こういった人たちは、「自分も頑張っている」という状態にもっていくことが目的だったということではないでしょうか。

結局、初めから「努力」以外の目的がなかったということです。

 

では、目的が明確ならば、うまくいくのでしょうか?

 

試験に通るため、昇進するため、異性に好かれるため、etc. 目的が明確な行動も確かに多いです。

しかし、目的があってもうまくいかないことはあります。

そして、うまくいかなかった時「頑張ってるにどうして?」と思ったりします。

 

ここがポイントではないでしょうか?

 

知らないうちに、目的がすり替わる。

結果を得るために頑張っていたのに、気付いたら、「努力」を評価してもらおうとしている

知らず知らずのうちに「努力」を目的にしてしまって、うまくいかなくなっている人は、確かに多いかもしれません。

では、「努力」を目的にしないための予防策は?

それが2)~3)なのではないでしょうか。

 

2)得意分野を探そう

 

これに関しては、「はいはい」って思うくらいに「聞いたことある話」で、「もうそういう理想論はいいって」という感じかもしれません。 ただ、「得意分野」こそが「努力」を目的にするというミスを犯さない得策のようです。

 

趣味でやってることは、別に誰にも評価されなくても続けます。趣味はだいたい得意なことです。自分が好きな事です。 結局、こういう行動には「見返り」を求めないわけです。 だから「頑張ってるのになぜ?」なんて思わない。 「努力」を目的しなくて済む。 そういうことかなも思います。

F太氏いわく、自分のためにやってる、しかも好きでやってるだけ、もはや無駄って思ってるレベル。そういうことが、つまりは「得意分野」だったりするのだそうです。

 

そして、jMastuzaki氏とF太氏の話を聞いていると、「得意分野を探すこと」が、合理的な結論であることがわかります。 結局「不得手」「興味がない」ことをやっている人は、「ブレーキをアクセルを同時に踏んでいる状態」ということだそうです。

 

確かに考えてみるとその通りです。義務教育はその最たるものだと思います。(...もちろん義務教育は必要だとも思っていますが、、、。) 大抵の方は「苦手科目」というものがあったのではないでしょうか?

私の場合は社会が苦手でした。興味もないのに歴史なんて覚えようとしたって全然頭に入ってこない訳です。今になって興味が少し沸いてきて、たまに歴史の本を読んだりして、初めて少し頭に入ってきます。ただ、私の場合、そもそも「暗記が苦手」ですので、歴史マニアの域には到底届きません。

 

やっぱり、抜きんでるためには「興味」と「適正」の両方が必要ということで、「得意分野を探すこと」は時間も無駄ではないのだいうことです。

 

それが見つかるまでは、お金もまともに稼げないでしょうし、つらい訳ですが。

 

3)やめる勇気をもとう

得意分野を探すということは、ある程度いろんなことに手を出すことになります。何事もやってみないとわかりませんから。

しかし、なんでも根気と気合で続けても自分を消耗するばかりです。

目的は、「得意分野を探すこと」ですから、この職なら自分より他に圧倒的に得意な人がいると気付いたなら、さっさとやめるべきということです。

『嫌われる勇気』の中で謳われている「普通であることの勇気(p.260)」が「やめる勇気」に匹敵するかと思います。 誰だって、できることしかできません。

 

もちろん成長はありますし、できることを積み重ね、新しいことができるようになるのは事実です。 しかし、得手不得手があることも事実です。 誰もがオリンピック選手にはなれないですよね。

 

そういう「普通」と受け入れて、次に進もうということだと思います。

潔く諦めることで、できないことはアウトソースすることができます。

また自分の「普通さ」を受け止めれば、人の能力を素直に「尊敬」することもできます。そういう考え方をしていると、自然と人もついてきてくれて、良好な交友関係が出来上がると。一石二鳥ですね。

 

反対に、「忍耐」で続けてしまうと、多くの人が他人にも「忍耐を強要」してしてしまい、負のスパイラルに入ってしまうと。 これはもう、身の回りを見れば、すぐに実例が見つかってしまいそうですね、、、。

ということで、無理なことはスパッとやめましょう。

 

4)自分の人生にミッションを持とう

お二人は、得意分野に巡り会えれば、「仕事が楽になる」とおっしゃっていました。

この自分が「楽しむ」ということと、1)で考えた「目的」を持つということを掛け合わせると「貢献」に行きつくようです。

「目的」には階層があります。1)では目先の目的しか考えていませんでしたが、高次の目的も存在します。この高次の目的こそ、自分のミッションになるのだと思います。

ミッションで言うと大げさに聞こえるかもしれませんが、そういう「軸」があることが人の「強さ」「誠実さ」に繋がり、いわゆる「成功のカギ」だと思います。

 

私の場合は、

「自分が国産の安全なおいしい野菜を食べたい」

「農家が人並みの収入を得られるようにしたい」

「農業が儲かるようになれば、日本の農業が発達する」

「みんなが新鮮でおいしい野菜を食べれて幸せ」

ということを勝手に一人で夢想しています。

 

目的の目的を考えていくと、だんだん自分の「目的」が「貢献」に変わっていきます。

自分ができる社会貢献に目が行くようになるようです。

 

この「得意分野(楽しむ)」に「目的」を掛け合わせるというのは、心の余裕ができると人に優しくできるというのと、似ている気がします。

「嫌々やっているときのストレスが無くなる」→「押しつけがましさが無くなる」→「見返りを求めない」→「社会貢献に至る」ということかと、私は解釈しました。

 

 

※私の解釈も交えて書きましたので、お二人の言論とは少々相違があるかもしれません。ご容赦ください。