内容のない言葉たち
ロシア語通訳の米原さんの『不実な美女か貞淑な淑女か』を読みました。
エピソードの一つに、日本人の話が長さの割に内容が少なくて、それをロシア語に訳すと一言二言になってしまう、という話がありました。
訳を聞いてロシア人は「えっ、それだけ?」って顔するけど、米原さんからすると、「ほんとにこれだけなんだよ」って話だったそうです。丁寧な話し言葉はだいたい形式的な言葉(音声)でしかなくて、意味はない部分が多いってことですね。
日本語使って生活してるってことは、私も人生の時間をだいぶ無駄にしてるんだなと思ってしまいました。丁寧に話さないと、怒られちゃいますし。日本語って敬語、多いですし。
まあ、日本語の特徴って、外国語と比較して初めてわかるんですね。
AIが普及すれば外国語なんて学ばなくていいとか言いますけど、そんな単純な話じゃなさそうです。
ちょっと話が飛躍しますが、生きていくためには、「騙されない力」が絶対必要で、そのトレーニングが「当たり前を疑う」なんだと思うんです。で、今回の例を当てはめると「日本語を疑え」って話で、その「きっかけ(比較対象)になるのが外国語」ってことなんですね。
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