嫌われ者
さて、久しぶりのブログ更新です。
年末、引き出しから、大学の先生の住所を確認しようと思って、随分前の年賀状を見つけました。
小学5年生の時の担任に先生からの年賀状。
この先生、女子生徒に嫌われていた。
原因は、「○○ちゃん」て、呼んでたこと。
私の場合、さわちゃん て呼ばれてた。
私は、さほど気にしてなかったが、小学5年生って、色気が無くても、色気づき始める年ごろだし、多くの女子にとっては不快だったらしい。
パズルを持ってきたり、手品道具を持ってきたり、毎週なぞなぞを出題したり、遊びの多い先生で、私個人としては、結構この先生のことは好きだった。
みんなに人気の先生のことの方が、私は返って苦手だったように思う。
あの先生は、平家物語を後ろの黒板に、通年書いていたりしたし、確かに、小学5年生には理解しかねる存在だったのは、間違いない。
その先生の年賀状が、年末、たまたま出てきた。
偶成(ぐうせい) 朱熹(しゅき)
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰(こういん)軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声(しゅうせい)
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おめでとう
「時」を大切に
この内容を見て、意味を調べる子どもなんて、何人に一人だろうか。
私の記憶にも、まったく残っていなかったので、きっと当時は意味など知ろうとせずに、引き出しの奥へ葬ったのだと思われる。
18年の時を経て、意味をググった。
<詩の意味>
若者はアッという間に年をとってしまい、学問はなかなか完成しにくい。だから、少しの時間でも軽軽しく過ごしてはならない。
池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢がまだ覚めないうちに、階段の前の青桐(あおぎり)の葉には、もう秋風の音が聞かれるように、月日は速やかに過ぎ去ってしまうものである。
<鑑賞>
今も昔も人生は短く学問の道は遠い前半二句は今でも親や教師が口にしそうな若者向きの学問のすすめです。後半二句の具体的な比喩(ひゆ)が説得力をもっています。若さをむさぼり楽しんでいるうちに秋風が吹いてきて人生は終わりに近づくのですよと諭(さと)しています。いわゆる勧学(かんがく)の詩として最も親しまれています。
参照;
伝えても、伝えなくてもいい内容ってある。でも、伝える事で人間関係 って作られていったりする。
「時」を大切に。 か。
明日死ぬなら、どうするかなぁ。
送るなぁ。
お陰様で、まぁ送ることでもないか、と思っていたメッセージが一件送信できた。
アラサーになって、この先生のお世話になるとは。
私は、断捨離がなかなかできない。