ブログ・コサワ

日常の気づきと、真面目の向こう側の笑い。

当たり前 など、無い。

お風呂に虫が入ってきた。

お風呂の壁にとまる。

 

私はシャワーをかかっている。

壁は細かい水滴で濡れている。

 

この虫は、胴体より羽が長い。

 

羽が、湿った壁に張り付いて、

身動きが取れなくなり、自滅。

 

、、、。

 

思わぬ出来事で、命の儚さを感じました。

 

そんな今日は、

母の日。

 

私を生んだ 母 が、

母から生まれた 私 が、

 

今日まで生きています。

 

 

 

死ぬかもしれない瞬間は、

きっと何度かあった、お互いに。

 

 

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フライングで2週間前に送った花

 

最近、母を見ていて、

老いを感じる。

 

テーブルを拭く布巾が、

以前より、ちょっと重くて、

握力が落ちているのだなぁと。

 

まぁ、まだ健在な人だけど、

いつ母が倒れるかわからないよね、とも思う。

 

杞憂に過ぎない かもしれないけれど、

そう外れた想像でもないだろう。

 

薄情にも、

 

母が家に居なくなったら、

ご飯、外食にばっかりになるなぁ、とか、

洗濯、自分でしなアカンなぁ、とか、

そんなことが頭に浮かぶ。

 

母は、家政婦ではない。

 

私は、母を大切にしているだろうか?

 

母の幸せとは、、、?

 

 

私は、母を「お母さん」を呼ぶ。

 

母は、私と話す時も、

自分のことを「私」と言う。

 

自分のことを「お母さん」とは言わない。

 

子育てを始めたころに、違和感があって、

自分で自分を「お母さん」と呼ぶのは、

辞めたらしい。

 

私が、私の人生を生きているように、

 

母は、母の人生を生きている。

 

別に、

そのままのこと を言っているだけな気もする。

 

けれども、

 

何も考えていないと、

子どもは、

親の人生を巣食っているのかもしれない、

 

そう感じて、

どこか罪悪感が湧く。

 

いい年して、実家で過ごして、

毎日に無感覚になっていたことに、気づく。

 

全てが、当然では無い。

 

感謝しよう。

大切にしよう。

 

そして、

少しは、母を安心させられる自分になろう。

 

 

母の日、

年ばかり取る子ども なりに、

足りない頭で、そう思いました。

 

 

(お花の入れ方が、

 本当に投げ入れただけなのは、ご容赦を。)

 

以上。 

 

 

 

 

 

Ed Sheeran  " Supermarket Flowers " 。

<https://youtu.be/bIB8EWqCPrQ>

Edがお母さんの目線で書いた曲。歌詞&解説 ↓。

<https://ameblo.jp/beh0914/entry-12258441411.html>

”保護されてない通信”になっていましたが、泳げ対訳くんの意訳はいつもすごい。

<http://oyogetaiyakukun.blogspot.com/2018/05/supermarket-flowers-ed-sheeran.html

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