ブログ・コサワ

日常の気づきと、真面目の向こう側の笑い。

ゴミ

ゴミの分別が変わるらしい。


 私の住む地域は、ゴミの分別が細かい。面倒くさいが、そのお陰で、「ゴミ」というものに、意識を向けることが出来ている。

・焼却ゴミ(くず紙、髪の毛、ほこり、生ゴミなど)
・トレイ類ごみ(プラマークの付いているもの、ただし強い汚れの付いたものは破砕ごみ)
・破砕ゴミ(金属、陶器、小物家電、ゴム・革・繊維類、ガラス、など)
・粗大ゴミ(自転車、家具など)

 さらに、資源ゴミとして、新聞、雑誌類、ペットボトルなどは、別で分類して出す。

 私はそういうものだと思ってきたけれど、他の地域の人には、信じられない面倒くささらしい。

 この分類が、あと数ヵ月で終わる。

 大きな変更点は、焼却ゴミとトレイ類が、一緒に捨てられるようになること。

 焼却場が変わるから、細かい分別をしなくても環境に少ない不可で、処理できるようになるかららしい。

 暮らしの手間が減るのは、嬉しいことだ。なのに、何だか違和感がある。

 これでいいのかな? という感じ。

 誰かが、なんとかしてくれるから、自分に関係無いことは考えなくていい。
 
 無意識にそういう空気が忍び寄っているように感じる。

 だんだん違和感すら感じなくなって、考えないことが当たり前になるのかなぁとか思うと、変な気分だ。

 自分の身の回りと、直接は関わらない部分。境界線を引くと生きやすいことが多いみたいだけど、実際はどこにもボーダーラインはなくて、誰かが引いた線を、隣の人も見てるから、自分もその線にしたがって考える、行動する。

 人が集まると小さな社会ができて、右向け右が始まる。ゴミの分別は一例だけど、自分もルールの中に住んでいるのだなと実感した。

 ルールは当然になって、人を無感覚にさせる。ルールに異論を言うと、異物になる。
 
 周囲に飲み込まれていくのが怖いなと感じた。

 本音では、みんなどう思ってるのだろう?