ブログ・コサワ

日常の気づきと、真面目の向こう側の笑い。

花ざかり という人間視点

みなさん、ごきげんよう
コサワです。

夜ご飯にナスが出てきた。

半生だった。

残そうかと思ったが、忍びない。

誰かが作ったナスである。農家も思うと捨てられない。

ナスの身になると、ますます捨てられない。



かじりかけのナスをチンして、食べた。



もう一度、ナスのに身になってみる。



どっちでもいいような気がしてきた。






去年の夏(農業研修)、ミニトマト収穫していたとき、こんな話を聞いた。



「人は花が美しいっていうけど、植物にとっての人生の絶頂は、枯れゆくときかもない。トマトは種を遠くに運ぶために、真っ赤な実をつける。鳥の目を引き、鳥に食べてもらって、種を遠くに運ぶ。」




「鳥に食べられてしまった」と人間はいうけど、それはトマトにとって本望なのかぁ。ふーん。と思って聞いていた。





さっきのナスに戻ろう。

 
捨てずに食べるのが大切という考えは間違ってない。でも、捨てられても、人間に食べられても、どっちにしろ、そのナスの種は発芽しない。

そういう意味で、ナスにとっては、食事中の私の思索などどうでもよいことだったのだろう。