ブログ・コサワ

日常の気づきと、真面目の向こう側の笑い。

山桜 -桃

やまぶきの山吹色が映えるのは、

周りが桃色だから。

 

赤、白、桃、

数種類の椿が、

お釈迦様を守る、屋根の上に、咲いている。

 

桃色の中から、山吹色が力強く、ポトンッと落ちてくる感じ。

 

屋根に咲き乱れる椿は、

すべてお寺の敷地内に咲いたものらしい。

 

咲き誇る姿が、

華やかで、可愛らしく、美しい。

 

そして、

この場所には、そぐわない表現かもしれないが、

艶やか。

 

あえて、「つややか」ではなく、「あでやか」と読みたくなる。

 

そういう妖艶さが、椿から感じられる。時々。

 

見せ方 だろうか。

 

庭に咲く椿は、あまりにも花が付きすぎて、

しばしば、品が無いように見える。

 

けれども、

こうして、お釈迦様を祝う気持ちを込めて、飾られているのを見ると、

気品、貴さ、

そんな言葉の似合う花へと変わるような。

 

 

 

しばらく、ぼーっとしていると、

 

 

「桜は見た?」

と、声を掛けてもらった。

 

お釈迦様から、右向け右。

 

こちらにも障子がある。

 

障子を開く。

桜が現れる。

 

なんだか、くっきりしてるなぁ。

そう思った。

 

ソメイヨシノとは、違う気がする。

 

「これ、ソメイヨシノではないですよね?」

 

「うん、違うね。これ、山桜。」

 

花びら一枚一枚が、しっかりしていて、

凛々しい。

 

そんな気がした。

私の主観なので、山桜の特徴として、正解なのかどうかは知らないけれど。 

 

 

兎にも角にも、

ソメイヨシノではない桜を見ると、得した気分になる。

 

そのうえ、

この桜は、ここからしか見えない。

 

桜の向こうは、路地。

一般道だから、誰でも通ることができる。

 

今日も、路地を歩く人の姿が、

塀の上から、少しだけ見えた。

 

でも、路地からは、この桜はきっと見えない。

桜と塀の間に、もう一本 木があり、葉が茂っている。

 

だから、

この山桜は、このお堂からしか見ることができない。

 

 

私は、

たまたまご縁があって、このお寺にお世話になっていて、

今ここにいるだけ。

普通の、特に何に秀でるでもない人間。

 

 

わかっているけれども、

ここから、この山桜を見ていると、

自分が、稀有な存在かのように思えた。

 

 

 

で、思い出した。

 

最近、しいたけさんが書いてた。

dot.asahi.com

 

うお座は、勘違いをする傾向にあるらしい。

 

 

自分は特別な存在、

そんなのは、私の勘違いであることは、わかってる。

 

でも、それでいいのかなぁと。

 

お釈迦様もおっしゃったではないか。

 

「唯我独尊」と。

 

ネットで適当に調べると、

shinrankai.jp

人間は、皆、尊いらしい。

 

だから、勘違いしよう。

 

私も、特別な存在。

 

 

 

 

※植物への、尊敬の念も、もちろんあります。