ブログ・コサワ

日常の気づきと、真面目の向こう側の笑い。

「考える」は、粘土遊び

考える。

 

便利な言葉だ。

 

その場で、結論が出しにくい時、「考えます」と言ってその場を去る。

 

でも、そういって本当に考える人って、どれくらい居るんだろう?

 

 

受け流し方を考える人。

 

一人でうじうじ考える人。

 

人に相談する人。

 

この辺に分かれる気がする。

 

 

受け流し職人

→受け流すことしか考えてないし、言うまでもなく内容については考えてない。。。

 

 

 孤独ループうさぎ

→たぶん同じ言葉がグルグルするだけで、何か良い思考の産物が得られる可能性は低い。。

 

 

丸裸戦法。他人に話まくる。

→この選択肢が、実は一番内容について、本質的に考える気がする。

(相談する相手にもよるけど、)人に相談することには、2つのメリットがあるから。

 

  a. 誰かに話すってことで、とりあえず思ってたことを吐き出せるから、脳みその容量が空く

  b. 相手の脳みそから、新しいアイディアを仕入れられる。

 

 

 

なんていうか、アイディアをいくつか持っていて、初めて「考える」っていう作業ができるわけやし。

 

 

しかも、集めたアイディアをそのままの姿で使うだけじゃ、新しい解は出なくて、既存のアイディアを分解して、全部混ぜて、組み立て直して、自分のアイディアを作り出す。

 

「考える」って、そんなことかなと思う。

 

 

で、これが私には、粘土遊びに思える。

 

粘土になる材料を集めて、コネてコネて、良い粘土を作って、

いじって、いじって、変形させて、

いつか、「これだ!」っていう形にたどり着く。

 

 

そういうイメージに私の頭の中ではなってる。

 

だから、材料集めをしない限り、「考える」っていうフェーズに至ることはできない。

 

けっこう、考えてるようで、何も考えてないことが、

私は多い。

 

孤独ループうさぎ。